学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

もっと学びたい

最近、学びたい欲が高い。

 

書店に行くと、読みたい!と思える本がとても多い。

 

というのも、ここ最近「学ぶ」ことにとても関心がある。

 

一つは、ヘラヘラしてる有名な人たちは、ホントは頭いいんだと知ったこと。笑

この衝撃の事実以降、僕はもっと勉強しようと思った。

 

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「学ぶ」ということに関して、

これまで学問として、知識を増やすことばかりを考えていた。

けれど、違うんだということに気づいた。

 

自由!なんかを謳っている本の著者の方々。

いかに自分が突拍子もないことをしているかを書いている。

 

そしてそれを見て、憧れる。

 

僕もそんな風に自由にいろんなことができたら…。

 

 

これまで、自由に生きている人たちは、

メンタルブロックを取っ払いまくったから

自由になっていると、心理的な側面でしか捉えていなかった。

 

けれど、

その人たちの言動を見ていると、

どう考えても頭がいい。

どう考えても、浅いこと言ってない。

どう考えても、絵空事を言ってない。

 

論理的、思考の深さ、戦略的、プレゼン力、行動力、人脈…

 

どれも、すごい。

おちゃらけた雰囲気は、

僕らに親しみが持てるようにしてくれているんだ。

 

で、考えてみた。

この人たち、いつから頭がいいんだろ?

 

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高校まで、学力が高いとして過ごしてきて、

今アホなことをヘラヘラしている人もいると思う。

 

逆に、子どもの頃は完璧にアホキャラで、

そのまま大人になり、行動して失敗して、

助けてもらって、教えてもらっているうちに

頭が良くなっていった人もきっといる。


一つ抜きん出ている人は、

みんな哲学を持っている。

 

今は、そんな風に考えている。

 

 

正直なところ、

AKBグループはそんなに賢くはないと思っていた。

アイドルだし、学校の勉強なんてそんなにやってないでしょ。

そんな風に思っていた。

 

けれど、インタビューの受け答えなんかを見ていると、

一本筋が通っていて、

回答に深みがある。

そして、自身のキャリアをしっかりと考えている。

 

同世代もしくは、自分より年下世代が、

こんなにも真剣に生きていて、

立派な発言ができるって

 

やっぱり一つ抜きん出るって

理由があるんだなぁと思った。


そして僕は思った。

今更でも学んでいいよね?

 

 

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学びに終わりはない。

教養って面白い。

増えれば増えるほど、

一つの事象を多角的に見ることができる。

 

だから、最近はニュースに付随して、

そこに関わる情報をネット検索かけるのがすごく好きだ。

 

なぜそうなるの?

その専門用語ってどういう意味?

これから身近に関連しそうなことは?

 

とにかく、学ぶって面白い。

 

けれど、学びは、

知識の増量やアップデートだけではない。

 

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先日、小論文試験対策として、

生徒の文を添削していた時、

学力には、狭義と広義があるということ。

 

狭義の学力とは、どれだけ知っているか、どれだけ早く処理できるか。

といった量と早さのようなもの。

 

これまで入試として問われてきたもの。

 

いかに早く、いかにたくさん覚え、いかに早く解けるか。

 

そんな量的な学力。

 

そして今社会が問うている力は、

仮説力。

正解のない時代。

自分が立てた仮説に向かって、どれだけエネルギッシュに動いていけるか。

 

学校教育では、

仮説力ってなかなか育成しにくい。

 

3年間ってあっという間。

その間にやらないといけないことは決まっていて、

タイムスケジュールは大筋変わらない。

僕が高校生だった頃と、今の子たちのタイムスケジュールはあまり変わらない。

きっと、親世代が子どもだった頃からずっと変わらないんだと思う。

 

これだけ詰め込まれた教育現場。

なんとなく、失敗する暇がないような空気が漂う。

 

良い意味で言うと、完成している。成熟している。

だからこそ、やるべきことは完全にマニュアル化。

入る隙がない。

 

そこに仮説なんかを持ち込む暇がない。

それが学生だ。

そんな教育現場で育った僕も、

仮説力の乏しい人間だった。

不正解している暇はないから、

とにかく正解に向かって合理的に進むために邁進してきた。

 

けれど、大学生になった時戸惑った。

えっ、仮説って何?

そんな多分こうだろうとか、ないんだけど。

 

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話は逸れたが、

IT革命によって成熟してきた社会。

 

どんどん新しいものができ、どんどん新たな課題が生まれる。

順応していく力もかなり求められる。

 

そこで必要な仮説力。

この仮説にどこまでエネルギーを注げるか。

 

過去に、土壌汚染について調べたことがあった。

検索ワードは「土壌汚染」

そして出てくるのはWikipedia

調べて次に行き着いたのは「環境ホルモン

またしてもWikipedia

 

そして、行き着く先には、抽象的な表現で、

わかったようなわからないような。

人には到底説明できないようなレベルでの理解。

 

仮説までも、全く進めなかった。

 

今の時代は何でも調べればそれなりの答えが返ってくる。

しかし、自分の欲しい答えはなかなか返ってこない。

 

それはなぜか?

どんな検索ワードを使えばいいかわからない。

そして、もっと重症なのは、どんな答えが欲しいかを自分でわかっていない。

 

で、何が足らないのか?

結局は、教養が足らない。

前提となる知識がないと、

調べようがない。

 

環境ホルモンで終わりだ。

 

この前提の知識の深さが、

面白い仮説を作り、

その実現に邁進することが、

現実世界を面白くする。

 

前提の知識。

仮説力の前に、これ大事。

 

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最後に…。

 

学びには、知識を増やすことだけではないと知った。

 

けれど、深い学びのためには前提の知識となる教養が必要だった。

 

そして、いかに面白い仮説を立てて、そこに邁進していくか。

 

僕は、この仕事を始めてから、

 

どんどん頭が良くなってきているように思う。

 

きっと、教養の広がりと仮説の連続だからだ。

 

学びには、もっと広い意味もある。

 

今日は、前提となる教養と仮説力についてのみ。

 

きっと、こうやってアウトプットという表現をやろうとすればするほど、

 

教養がいるんだと思う。

 

だから、もっと知りたい。もっと学びたい。

 

ネタ探しとかの次元じゃなくて、

 

自分の考えを、より多くの人に発信するために、

 

教養が必要だ。