もっと学びたい
最近、学びたい欲が高い。
書店に行くと、読みたい!と思える本がとても多い。
というのも、ここ最近「学ぶ」ことにとても関心がある。
一つは、ヘラヘラしてる有名な人たちは、ホントは頭いいんだと知ったこと。笑
この衝撃の事実以降、僕はもっと勉強しようと思った。
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「学ぶ」ということに関して、
これまで学問として、知識を増やすことばかりを考えていた。
けれど、違うんだということに気づいた。
自由!なんかを謳っている本の著者の方々。
いかに自分が突拍子もないことをしているかを書いている。
そしてそれを見て、憧れる。
僕もそんな風に自由にいろんなことができたら…。
これまで、自由に生きている人たちは、
メンタルブロックを取っ払いまくったから
自由になっていると、心理的な側面でしか捉えていなかった。
けれど、
その人たちの言動を見ていると、
どう考えても頭がいい。
どう考えても、浅いこと言ってない。
どう考えても、絵空事を言ってない。
論理的、思考の深さ、戦略的、プレゼン力、行動力、人脈…
どれも、すごい。
おちゃらけた雰囲気は、
僕らに親しみが持てるようにしてくれているんだ。
で、考えてみた。
この人たち、いつから頭がいいんだろ?
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高校まで、学力が高いとして過ごしてきて、
今アホなことをヘラヘラしている人もいると思う。
逆に、子どもの頃は完璧にアホキャラで、
そのまま大人になり、行動して失敗して、
助けてもらって、教えてもらっているうちに
頭が良くなっていった人もきっといる。
一つ抜きん出ている人は、
みんな哲学を持っている。
今は、そんな風に考えている。
正直なところ、
AKBグループはそんなに賢くはないと思っていた。
アイドルだし、学校の勉強なんてそんなにやってないでしょ。
そんな風に思っていた。
けれど、インタビューの受け答えなんかを見ていると、
一本筋が通っていて、
回答に深みがある。
そして、自身のキャリアをしっかりと考えている。
同世代もしくは、自分より年下世代が、
こんなにも真剣に生きていて、
立派な発言ができるって
やっぱり一つ抜きん出るって
理由があるんだなぁと思った。
そして僕は思った。
今更でも学んでいいよね?
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学びに終わりはない。
教養って面白い。
増えれば増えるほど、
一つの事象を多角的に見ることができる。
だから、最近はニュースに付随して、
そこに関わる情報をネット検索かけるのがすごく好きだ。
なぜそうなるの?
その専門用語ってどういう意味?
これから身近に関連しそうなことは?
とにかく、学ぶって面白い。
けれど、学びは、
知識の増量やアップデートだけではない。
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先日、小論文試験対策として、
生徒の文を添削していた時、
学力には、狭義と広義があるということ。
狭義の学力とは、どれだけ知っているか、どれだけ早く処理できるか。
といった量と早さのようなもの。
これまで入試として問われてきたもの。
いかに早く、いかにたくさん覚え、いかに早く解けるか。
そんな量的な学力。
そして今社会が問うている力は、
仮説力。
正解のない時代。
自分が立てた仮説に向かって、どれだけエネルギッシュに動いていけるか。
学校教育では、
仮説力ってなかなか育成しにくい。
3年間ってあっという間。
その間にやらないといけないことは決まっていて、
タイムスケジュールは大筋変わらない。
僕が高校生だった頃と、今の子たちのタイムスケジュールはあまり変わらない。
きっと、親世代が子どもだった頃からずっと変わらないんだと思う。
これだけ詰め込まれた教育現場。
なんとなく、失敗する暇がないような空気が漂う。
良い意味で言うと、完成している。成熟している。
だからこそ、やるべきことは完全にマニュアル化。
入る隙がない。
そこに仮説なんかを持ち込む暇がない。
それが学生だ。
そんな教育現場で育った僕も、
仮説力の乏しい人間だった。
不正解している暇はないから、
とにかく正解に向かって合理的に進むために邁進してきた。
けれど、大学生になった時戸惑った。
えっ、仮説って何?
そんな多分こうだろうとか、ないんだけど。
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話は逸れたが、
IT革命によって成熟してきた社会。
どんどん新しいものができ、どんどん新たな課題が生まれる。
順応していく力もかなり求められる。
そこで必要な仮説力。
この仮説にどこまでエネルギーを注げるか。
過去に、土壌汚染について調べたことがあった。
検索ワードは「土壌汚染」
そして出てくるのはWikipedia。
調べて次に行き着いたのは「環境ホルモン」
またしてもWikipedia。
そして、行き着く先には、抽象的な表現で、
わかったようなわからないような。
人には到底説明できないようなレベルでの理解。
仮説までも、全く進めなかった。
今の時代は何でも調べればそれなりの答えが返ってくる。
しかし、自分の欲しい答えはなかなか返ってこない。
それはなぜか?
どんな検索ワードを使えばいいかわからない。
そして、もっと重症なのは、どんな答えが欲しいかを自分でわかっていない。
で、何が足らないのか?
結局は、教養が足らない。
前提となる知識がないと、
調べようがない。
環境ホルモンで終わりだ。
この前提の知識の深さが、
面白い仮説を作り、
その実現に邁進することが、
現実世界を面白くする。
前提の知識。
仮説力の前に、これ大事。
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最後に…。
学びには、知識を増やすことだけではないと知った。
けれど、深い学びのためには前提の知識となる教養が必要だった。
そして、いかに面白い仮説を立てて、そこに邁進していくか。
僕は、この仕事を始めてから、
どんどん頭が良くなってきているように思う。
きっと、教養の広がりと仮説の連続だからだ。
学びには、もっと広い意味もある。
今日は、前提となる教養と仮説力についてのみ。
きっと、こうやってアウトプットという表現をやろうとすればするほど、
教養がいるんだと思う。
だから、もっと知りたい。もっと学びたい。
ネタ探しとかの次元じゃなくて、
自分の考えを、より多くの人に発信するために、
教養が必要だ。