学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

熱心と狂気の境目に何があるのか

先日部活でミーティングをした時のこと。

 

自分が引き寄せを使ってうまくいった話をしてみた。

興味津々に聞いてくれる選手もたくさんいたが、

熱くなれていない自分に驚愕した。

 

====その時の話======

 

僕が高校3年生の時の話。

 

高校球児としての最後の大会を迎えていた。

ベスト8がけのゲームは見事な逆転勝ちを収めた。

チームや応援団は大盛り上がり。

しかし、一人だけ浮かない顔をしている選手がいた。

それが僕だ。

情けないことに、4番打者でありながら5打席ノーヒット。

 

これじゃマズイと思い、

帰りのバスの中で、中学時代の友人二人に即メールをした。

 

「練習、付き合ってくれんかな?」

 

彼らは隣の高校に通い、僕らよりも少し早く引退を迎えた。

 

「いいよ。何時?」

二つ返事で答えてくれた。

 

そして、途中下車で家の近くのバス停に下ろしてもらったが、

時間は17時半。7月だったが、6時を過ぎると薄暗くなってくることがわかっていた。

 

最寄りと言いつつ、家までは走っても15分。

「やばいなぁ。せっかく練習の約束をしたのに間に合わない。」

 

とにかく頑張って走った。

すると、車に乗った見たことのある人が声をかけてきた。

 

「今日はお疲れさん。ナイスゲーム!」

 

そこには、うちの学校の校長先生がいた。

これまで一言も話したことがなかったので、

僕が誰なのかすらもわかっていなかっただろう。

 

「ありがとうございます!」

 

僕のその一言のあと、校長先生は車を走らせた。

 

すると50mほど進んだところで急に止まった。

 

「乗っていくか?」

 

ミラクルが起きた。

 

そして、予定よりも10分早く自宅に到着することができ、

急いで自転車に乗り換え、中学校へ向かった。

 

なんとかたどり着いた頃には、やや薄暗い。

友人Aはちゃんとそこに待っていてくれた。


自分のバッティングの不調のほとんどの原因は、

開いていること。

だからいつも、背中側から投げてもらうティーバッティングを行う。

 

たった15分のことだったが、

黙々とボールを投げてくれた。

 

そして、練習終わりに僕は彼にこう言った。

「明日の試合のこと、絶対に新聞に載せるから。必ずこのこと語るから。」

 

友人には冗談にしか聞こえなかったと思う。

 

それでも、

「絶対語ってよ。楽しみにしてる。」

 

そう言って僕の言葉を信じてくれた。

 

そして大会当日。

朝6時にもかかわらず、友人Bは小学校に来てくれた。

Bと僕は小学校からの付き合い。

少年野球の時はバッテリーとしてチームを盛り上げた。

 

そんなBも朝6時からなのに、小学校に来てくれて僕に

ティーバッティングのトスをしてくれた。

 

僕の中で前日と、この朝のティーで確実に今日はいけるという感覚を手にした。

 

Bにも同じことを言った。

「今日のこのティーのこと、絶対に新聞記者に語るから。楽しみにしてて!」

 

Bも嬉しそうに、

「楽しみにしてるわ。」

と言ってくれた。

 

そうして迎えた準々決勝。

 

結果的に、1−5で負けてしまった。

 

僕は練習の甲斐があって3安打。

しかし、チームメイトの昨日の打線爆発とは打って変わって、

全くだった。

 

最終的に、僕がランナーにいるときに最後のアウトを迎えた。

「あー、ここで高校野球は終わるんだ。」

思わず空を見上げた。

 

そして、試合終了後。

最後のミーティングをダグアウトで終え、

球場を後にしようとしていた時、

そこに新聞記者が待っていた。

 

「あのー、読売新聞ですけど・・・。」

そして、僕の名前が呼ばれ、僕がインタビューされることになった。

 

最初の方は、試合についてのいくつかの質問があったが、

僕にとってはそんな質問内容はどっちでもよかった。

そんなことより早く、友人のことを伝えたかった。

 

「実はこんなエピソードがありまして・・・」

 

そうして僕は球場を後にし、高校野球人生を終えた。

 

・・・

 

そして翌日、読売新聞を見たら、

しっかり僕の話したことが記事になっていた。

しかも写真付きで。

 

あれだけ自分が打って勝った試合では写真にならなかったのに。

負けたら写真になるなんて、なんとも皮肉な話しだ。

 

そして、友人に連絡し、

約束を果たしたことを伝えた。

 

===============

こんな嘘のような本当の話を体験している僕なのに、

熱い気持ちで話せない自分にものすごく悲しくなった。

 

あの頃の自分はどこに行ったんだ・・・。

 

 

 

熱心なだけなら、誰にでもなれる。

狂気はある意味危険な存在だ。

しかし、熱心を超えて行った人にしか届かない世界。

 

アメフトのこと、登山家のこと

様々なことに関していろんな人がいろんなこと言っているこの頃。

 

僕はまず、熱狂できているんだろうか。

そんなことを考えたここ数日だった。