学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

紙には神(かみ)がおりる

紙には神がおりると聞いたことがある。

 

つまり、思っていることを紙に書いていくことで気づくことがあり、

今まで見えてこなかったアイディアに出会えるということだ。

 

これは言い換えると、

アウトプットすることで気づくことがある。ということだ。

 

 

部活動で練習試合なんかをしているとよくそんな場面に出くわす。

目の前で、敗因となるプレーや絶好のチャンスを生かせない場面が来る。

するとそこで、なぜうまくいかないのかを脳内に巡らせる。

 

そして選手を呼び止めなぜうまくいかなかったかを説明する。

すると自分でも驚くべき結論に行き着くことがある。

 

先日あった話…。

 

「打球には2種類あってな。強振した強いあたりと打たされた弱いあたりがある。そして、普段ノックで練習しているのは後者の打たされた打球でな…」

 

ん?ノックってそうだったの!?

 

普段何気なく、当たり前のボールを確実にアウトにできる選手になって欲しいと思い、

簡単な緩い打球を打つようにしていた。

 

するとそれは、どうやら打ち損じの弱いあたりのことを指しているようだ。

 

10年以上野球に携わってきたが、

ノックの打球に意図があると知ったのは初めてだった。

 

いつも、監督が緩急織り交ぜ、それに対応するのが選手だと思っていただけに、

ものすごく衝撃だった。(監督の期待に応えることが最優先のため、中には試合では存在しない打球も含まれる)

話してみると見える世界はどんどん広がる。

 

 

特に今の段階で僕がやっていることは、

今まで受けてきた指導の意図を理解していく作業。

 

教育というものは、基本ベースとして受けてきた教育をそのまま伝承していくものだと思う。

だから体罰を受けてきた選手は、指導者になったら体罰で指導しようとする。

家庭内暴力のパターンもそれが多いそうだ。

 

教育は伝統で、そのまま伝承されるもの。というのが各ご家庭でも同じだと思う。

 

しかし、伝統の中には悪しき伝統もある。

だからこそ、それを食い止めるためにも、そのやり方の意図を考える。

その意図こそが本質だ。

 

まだまだ僕は過去の教育をベースに指導している。

当然、目の前の生徒に合わないという現象に出会う。

 

そこで自分らの時代は…と、目の前の生徒のせいにするのではなく、

本質の意図を理解しながら、今にあった形に変換していく必要性がある。

 

その最も効果的な方法は、

アウトプットすること。

紙でもいい。口にするでもいい。

とにかく外に出して説明すること。

これが本質に出会う最も効果的な方法だと思う。

 

 

教育をやり方にするのではなく、あり方だけしっかり持ち

目の前の生徒に合ったやり方へと自由に変化させられる教師であること。

 

これが目指す姿。

 

この2月にいろんなきっかけをいただき、

メモ習慣を始めた。

紙には神が宿る。

 

ぐいぐい加速して成長している。

 

継続あるのみ!!!