事例持ちこそが最強
人はみな、何かに刺激を受け志を立てる。
しかし、いつしかその志の矢は折れてしまう。
何度も何度も折れて、それでもまた新たに立てる。
そうしていくうちに、いつしか折れない程度の短い志にしてしまうんだ。
===============
僕も何かの折には、ホントによく志を立てる。
その瞬間は、何にでもなれるような気持ちになり、
最高の気分になれる。
しかし、少しずつその志はぼやけていき、
気づけば消えてしまっている。
何でいつもそうなんだと、よく自分を責めている。
自己啓発系の本を読んでいると、
こんな一節を聞いたことがある。
”夢を叶えるためには、現実とは違うチャンネルに合わさなくてはならない。”
夢と現実は違う。
だから、現実という常識で追いかけても絶対にたどり着けない。
なぜいつも、志の矢が折れるのか。
それは、現実の常識で志を見続けるからだ。
現実の常識で見ていると、
少しずつ、その志は達成できないように見えてくるものだ。
叶えるために行動したら、
友達に笑われた。
親に無理と言われた。
失敗し恥をかいた。
実はホントに些細なことで、
無理なんじゃないかと不安になってくる。
ホントに、ホントに些細なことで。
============
僕は夢チャンネルを変えないためにどうすればいいかを考えた。
ちょうど先日、アツい部活指導者の方々が集まるイベントに参加した。
そこには、志を持った力強い方が本当にたくさん集まっていた。
講師の方からも、たまたま近くの席でお話した彼の方も、
口々にこう語っていた。
”指導者が無理って思ったら絶対無理だよ。子どもたちの可能性をちゃんと見てる?”
そうだよな。
限界ばかり見て、勝手に無理って判断して
そうしてお前はそんなもんだから身の丈に合ったことしとけ。
僕は一体何様だ。
===============
僕はそこで気づいた。
どうしたら、可能性を見れる人になれるのか?
答えは簡単。
成功する術を知ることだ。
可能性を見ないと!
という方々は、単純に成功する術を知っている。
術を知らない人間が、己の努力不足を棚にあげて勝手に限界をつくる。
成功する術。
それは、事例だ。成功した人に会いに行く。話を聞く。同じ部屋で同じ空気を吸うだけでもいい。
これだ。
100m9秒台は、日本人には不可能だと言われた時代があった。
160キロは投げられないという時代があった。
いろんな不可能な時代があった。
しかし、誰か一人がたまたま更新できた時、
その後何人もの人がそこを通過するようになる。
僕のやりたいことにも、
幸いにも先人がいた。
誰もやったことがないからできない。
どこかでそんなことを思っていた。
しかし、成し遂げた人を目の前にした時、
僕にもできるな、きっと。
そんな風に思えるようになってきた。
人は不安を抱える生き物だ。
誰だって一歩目は不安だ。
ならば何を頑張るか。
成功した人を探しに行け。
それに尽きる。
そんな方に出会えた時、
きっと夢の半分はクリアできている。
大丈夫、みんな不安がスタートだ。
歩き続けよう。