学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

それでもやるのか?

人は、自分に危険が及ぶと頑張る。

 

火事場の馬鹿力というものだろう。

 

そう「危険が及ぶと…」という条件をつけて。

 

今日はそんなお話。

 

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人の特性として、恒常性がある。

 

いつも同じ状態、ということだ。

 

つまり、変化を嫌い、習慣を好む。

 

 

そして、そんな領域のことを

 

コンフォートゾーン(安全領域)と呼んだりもする。

 

 

このゾーンから飛び出した時が、

 

先程からの「危険が及んだ時」という意味になる。

 

 

今は簡単に生きるか死ぬかとはならない時代なので、

 

生存に対する危険反応は日常あまり出ない。

 

 

しかし、脳内での危険反応はいろんな場所で出る。

 

 

例えば、夏休み最終日に宿題を全くやっていない時。

 

例えば、親と約束していた門限が残り5分の時。

 

例えば、今月の給料日まで1週間あるのに残り1000円の時。

 

 

とまぁそんなありふれた日常の中にも起こりうる反応だ。

 

 

しかし、僕が話すからには教育現場でのお話に。

 

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さきほどアメトークでやっていたが、

 

3年生の最後の夏、背番号をもらえずベンチにも入れない選手がいる。

 

つまり、グランドに立つ戦力にはなれないということ。

 

試合には出られないということ。

 

 

当然、その当落線上にいる選手はどうしても背番号が欲しいから頑張る。

 

 

では背番号がもらえることが期待できる選手は頑張らないのか?

 

そんなことはない。

 

スタメンで出たい。投げたい。活躍したい。

 

いろんな思いから、試合に出るために頑張る。

 

当然、試合に出るメンバーは甲子園を目指して頑張る。

 

 

前置きがだいぶ長くなってしまったが、

 

今日はそんなお話ではない。

 

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人は自分の安全を脅かされた時に頑張る。

 

いや、「頑張れる。」のだ。

 

逆に言えば、安全が保証される時は「頑張れない。」のだ。

 

 

指導者はこれを使って、競争させる。

 

「君、試合に出られないかもよ。」というポーズをとって、

 

選手を頑張らせるというのは常套手段だ。

 

 

僕は、そういった選手は2流だと思う。

 

だって、「させられてる」から。

 

1流選手は、自ら「頑張れる。」

 

 

では、一流選手はどのようにして頑張るのか?

 

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一つは、先程の原理を使って、

 

頑張らざるを得ない状況を作ること。

 

自ら危険領域にいることにして頑張る。

 

 

こういった選手の口癖はネガティブだ。

 

しかし、表情はそこまで暗くない。

 

常に最悪を想定しながら、

 

悲壮感を漂わせてやるしかないと自分を鼓舞する。

 

これを高校生で自分に課せるのは、なかなか優秀だと思う。

 

 

二つ目は、目標設定を行うこと。

 

安全が保証される上で、自己実現を目指す。

 

こういう選手は前向きに明るい。

 

 

どちらの方法が良いとかは特にはない。

 

結果的に、やらされずに自身の意志で取り組んでいるから。

 

 

今のところ、僕は前者の方法でチームビルディングを行っている。

 

なぜなら、自信がないからだ。

 

悲壮感によって、よりチームが強くなるには?

 

を想像し、知恵を絞り出していく。

 

今はこの手法で取り組んでいる。

 

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で、結局何が言いたいのか?

 

環境によって、頑張らせれるのではなく、

 

自ら頑張るポイントを設定し、やる人間が強いんだということ。

 

自分の安全が保証されても稽古に励む姿が大事だということ。

 

物が溢れ、欲がなくても生きていける今だからこそ、

 

自ら目標設定する力が問われているように思う。

 

満たされていても、それでもやるのか?

 

満たされているから、やらないのか?

 

本当に好きなら、

 

本当にそれを成し遂げたいなら、

 

実現するかどうかではなく、

 

やるしかない。

 

一流になろう。

 

満たされても、それでもやろう。

 

探求しよう。極めよう。

 

なんだか今日は説教臭くなってしまった。

 

今日はこの辺で。