学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

自分を見れているか

先日、ある方とお会いした。

 

その方は、鏡の法則的な角度で人の心を見ていた。

 

もちろん僕も見られていた。笑

 

僕自身の気づきは、「割り切る」ということ。

心理学用語では、「拒絶」というらしい。

 

これはこんなもの。

と勝手に物事を見切り、いいも悪いもそれ以上感じないよう努力していた。

 

これ以上、傷つきたくないから、嫌な思いをしたくないから

向き合わなくていいように考えていた。

 

それはそれで、悪いものでもない。

割と心地の良いものでもある。

 

しかし、進もうとすれば必ずその壁にぶち当たる。

 

 

それから、自己を分析し考察することとなった。

 

 

そして、僕は一つ決めた。

 

・ 部活の生徒たち

・ クラスの生徒たち

 

彼らに心で対話しよう。と。

 

 

すると気づいた。

この子達は心を閉ざしてる。

 

少なくとも、僕に心を開いていない。

 

全体の前で話すと、それはすぐに感じ取れた。

 

見える世界が一気に変わった。

それから、機会があることに一人一人と心の対話をするよう心がけた。

 

ある子は涙し、ある子は僕の変化に気づき、

ある子はそれでも変わらず・・・

 

いろんな反応に出会えた。

 

そこで気づいた。

彼らを責めてはいけない。

 

責めるのなら自分だと。

 

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ここで、彼らと向き合おうとすると、

彼らの悪いところがたくさん見えてくる。

そしてそれを正したくなる。

 

だけどそれは違う。

 

向き合うべき本当の課題は、

彼らを見て逃げようとする自分と向き合うことだ。

 

これを間違うと彼らを追い詰める。

そして、潰す。

 

なんてこともある。

 

そんなもの愛情じゃない。

なんなら、彼らのために頑張る自己愛だ。

 

そこじゃない。

自分だ。

 

〇〇と向き合うのではなく、

〇〇と対峙する自分と向き合う。

 

これに尽きると思う。

 

辛い、苦しい、逃げたい。

 

 

いろんな感情が湧いてくる。

この感情に、ニヤつけるようになったら本物なのか。

とも思ったりする。

 

彼らと向き合わない。

彼らとは対話し、彼らが自分と向き合えるようにアシストする。

 

それで十分だ。

 

慌てない。

 

つい、自分のいうことを聞かせたくなる。

分からせたくなる。

 

慌てるな。

 

彼らは僕をよく見ている。

慌てている姿も。

 

だから、落ち着こう。

 

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心で人を見るようになると、

 

その言葉が本心かどうかがよく見える。

恐ろしいくらいに。

 

逆にそういう見方をする方に、

表面上の言葉で取り繕っていることも

きっとバレていたんだろう。

 

恥ずかしいな。

けれど、今から直そう。

 

心で対話できるよう、頑張ろう。

 

修行だな。けれど、これで仙人の道に一歩近づけた予感。