学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

体育の本質と評価のジレンマ

学校体育が大きく変わるために、何が必要なんだろう。

 

一つ気がかりなことが。

それは、「評価のロジック」

 

 

僕らは体育という教科として評定を出さないといけない。

 

学期末ごとに評定を出し、学年末に合算した評定を出し、

それが、受験の一つの要素となる。

 

体育の評価を4つの観点。

①関心・意欲・態度

②知識・理解

③思考・判断

④運動の技能

 

そして、結局のところ実技が主の教科なので、運動技能が大部分を占める。


で、ここで僕はつまづいた。

運動技能ってどう評価したらいいの?

 

できる限り見える化した方がいいから、

数値として測れるようなテストにしよう。

 

例えば、バスケットボールでの技能点。

フリースローシュート決定率というテスト。

というような形に。

 

あれっ、これって生きる力が高まってること、測れてる?

そもそも、体育が「健やかな身体」を育んでいる証になる?

 

健やかな身体に育っているかの評価を、運動技能の伸び率で評価し、

バスケットならフリースローの決定率で評価する。

 

え、ホントに?

 

サッカー。リフティング100回連続で出来たら、生きる力高い?

ソフトボール。内野ノック10回連続アウトにできれば、生きる力高い?

 

生きる力が高まる体育って何だろう。

 

そして、それを明確に測る方法ってあるのかな。

 

まだまだ僕も勉強不足。

きっと答えはあるんだろうけど、知らない。

 

一つ僕の仮説は、運動能力の向上。

これは生きる力が高まっていることを証明できると思う。

柔軟性。あればケガしにくくなる。柔らかすぎも問題だけど。

筋力。あれば少しは重い物を持てて、疲れにくくなる。

バランス。あれば簡単にこけたりしない。

 

まだまだたくさんある運動能力の要素。

これらが高まると、体育として生きる力が高まっているって評価できると思う。

 

これなら、数値で表せる。

 

じゃあ、豊かな心はどう測る。

 

そこに関してはまた今度書きたいと思います。

 

体育の本質と評価というジレンマ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。