学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

部活は、私塾であり、ゼミであり、サロンだ。

ここ最近、オンラインサロンが流行っているようで。

 

どんなものかは中に入っていないからわからないが、

外からのイメージ的には僕もぜひ欲しいところ。

 

自分の持つ考えを共有し、

サロンメンバーと一緒に深めていき、

たまに否定的意見ももらいながら模索していく。

 

一人で部屋にこもってコツコツ考えるより、

よっぽど効率よく進められるように思う。

 

そんなメンバーを募ってみようかと思っていたところ、

ふとこんなことを考えた。

 

部活動って、サロンだ。

 

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先日、落合陽一さんの日本再興計画を読んだ。

 

その中で、吉田松陰福沢諭吉の話が出てきて、

その私塾から偉人と呼ばれるようになった人たちが誕生した。と。

 

そして、その私塾の現代版がオンラインサロンだと。

 

はぁ〜と感嘆していた時、

ふと思った。

 

あれっ、僕がやっている部活動の時間て、

あれは塾のような場所で、おそらくサロンなんだと。

 

つい部活動というと、

勝利を目指してコツコツ練習に励み、

日頃から檄を飛ばし、鍛錬や修行というイメージが似合う場に

していくところがある。

 

みなさんが経験した部活動も、

勝利を目指す過程での人格形成ならば、

おおよそそんな感じだったんだろう。

 

僕が経験してきたものも、

間違いなくそれだ。

 

だから、歯を食いしばって、

怖い顔して、暗い雰囲気で粛々と・・・

という感じで練習に励んできた。

 

よく言えば、日本らしさでもある。

 

しかし、今指導している部活動の雰囲気は、

そんな雰囲気があまり感じられない。

 

全体のテーマとなるような、

練習メニューが提示され、

それを彼らが取り組む中で、

先生!と質問され、それに答え、

そしてその話の流れで

アスリートとして知っておいたほうが良い知識を

全体に共有したり、

たまには新たなトレーニング様式やスキルトレーニングを

やらせてみて、自分もやってみて研究し、

彼らが最も伸びる方法を模索したりする。

 

そこでの実験の繰り返しがデータベースとして、

次世代の練習様式に活かされる。

 

時に、運動分野を飛び越え、

キャリアの話をしたりもする。

 

仕事観や職業観、大人観、また自身の学生時代の比較なんかを通して、

彼らの価値観の形成を行なっている。

 

現チームのメンバーは、現段階では最先端の知識や思考、練習方法を実践している。

また、来年になればそれがアップデートされ、新たなものを試行する。

 

そんな形で、

期限付きではあるが、

3年間という期間で、

野球という種目を通して、

身体、心、自己マネジメント、運動・・・

 

多種多様なことを学んでいく。

 

吉田松陰については、いろんな角度から

調べてみたが、松下村塾は間違いなく

実践を通していろんなことを学ばせてきた。

 

そして、共に生活していく中で、

イズムを継承していった。

 

部活動も、そんな場所なように感じた。

 

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教育現場は、

いろんなカテゴリーにおいて、

良くも悪くも目的が多様化しすぎている。

 

部活動も、

このようなサロンであり、ゼミであるような場であるが、

 

一方で、生徒指導的な意味合いを持たせることもある。

また勝利至上主義でなんなら日頃の学校生活をオプションのように扱うこともある。

 

これが、議論が進まない根本の原因だと思うが、

部活動を、私塾、ゼミ、サロンのような場と捉え、

活動していくのは非常に良いことなのではないかと思った。

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僕自身は、この活動を通して、

間違いなく思考が深まり、

新たな練習方法や価値観が日々生まれている。

 

そして、この化学反応を

いずれはたまたま出会った人たちにではなく、

 

僕自身と共に過ごしたい人と体感したい。

 

相手が高校生のままなのか、

大学生になるのか、

社会人になるのかわからない。

 

学び直しの価値観はより強くなるはずだから、

学生に対してと固定的に捉えるのではなく、

広く僕から学びたい人にという価値観で

考えていきたい。

 

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体育の本質を考える

先日、県の体育の会に参加してきた。

 

その時に思ったこと。

 

”なぜ、そんなにまとめることにこだわるんだ。”

 

 

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来月には、高校の新学習指導要領が発表される。

 

それにあたって、おおよそどんな感じになるのかという話が

いろんな研修で聞くことができる。

 

僕自身、いろんな方からの話をもとにおおよそは

イメージできるようになった。

 

そして、先日もそんな話の中で

一つ違和感を感じた。

 

”そんなにまとめないといけないのか?”

 

日本の教育の骨格になる学習指導要領。

そりゃ体系的でわかりやすく、
読む人みんなが共通理解で授業できる方がいい。

 

けれど、なんで他の教科と同じように捉えないといけないんだろう。

 

というか、独立してたらダメなのか?

 

他の教科においても同じだ。

同じ法則性を作ろうとしすぎて、

その教科の良さが消えてしまう。

 

また、教科というくくりをすることで、

その分野についても複合的な要素が分断されてしまう危険性もある。

 

まとめた方がわかりやすいし、整っている。

しかし、そこで本質がずれていないかをしっかりと確認していないといけない。

 

では、体育における本質ってなんだ?

 

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僕は、今の体育、

なんでそんなにもスポーツにこだわるの?

と思う。

 

そんなにスポーツできるようにならないとダメなの?

そんなにスポーツから学力に繋げないとダメなの?

他に教材ってないのか?

 

そんなことを思う。

 

体育の本質は、もちろんのこと

体を育むことだ。

体とは、心身のこと。

心と身体、両方育んでいく必要がある。

 

それを、スポーツだけでやろうというのは、

割と無茶振りなんじゃないかと思う。

 

どうしても、他国との比較なんかで、

体育は日本独自だから、

教育っぽく学力に繋がる感じにしないとっていう空気を

とても感じる。

 

体裁を整えてる感はすごーくわかる。

 

けれど、それで本当に体を育めてる?

と聞かれると、ドキッとする。

 

というかそもそも、

今この学習指導要領を作っている方々は、

体育で自分が育まれた経験をしてるんだろうか?

体育で人生作ってもらったから、体育ラブ!

な人が作っているんだろうか。

 

体裁を整えるのがうまい、

事務能力の高い方々が

スマートさを競うためだけに作成されてはいないだろうか?

 

本当のことは何もわからない。

しかし、そんなことが気になった。

 

体育の骨格を作るのは、

絶対的に体育ラブの人が作るべきだ。

 

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実際に現場で指導していて思うこと。

 

”まだスポーツをやる次元に届いていない生徒がたくさんいる”

スポーツを通して体を育めるほどの

基礎的な身体能力や心の状態を持つ生徒はほとんどいない。

 

なんなら、そういった状態にある生徒は、

運動部で鍛えられて作られたんじゃないか?

 

だから、部活動至上主義で

部活が教育活動で最も効果的なんて論が生まれる。

 

その偏りが、今の日本の学校を歪めているんだから。

 

もう部活動縮小しよう。

もっと体育が子どもの体について責任持とう。

 

そうならない原因は、

体育が自信ないんだと思う。

 

責任を持って、子どもたちの体を育みます。

 

そんなこと言えるのは、

体の本質を理解している一部のクラブチーム指導者と

運動教室の先生あたりだろう。

 

トレーナーという名のつく方々しかできないだろう。

 

そして、そのトレーナーの中で心の育みも保証できるのは、

ほんの一部。

 

つまり、体育の本質を理解して指導できる人は、

この日本にはほとんどいない。

 

だから、つまるところ

体育に時間割くより勉強時間増やした方がよくない?

という論が生まれてきても仕方がないのだ。

 

そして、体育指導者は自信がないから

なんの反論もできない。

 

僕は、体育が教科から消えることは時間の問題だと思っている。

 

体育教師の多くが、

体育教師という飾りをつけて、部活指導者をしているだけなんだから。

 

体育の本質はスポーツを教えることじゃない。

それはもっと、高次な活動。

 

もっと根幹の、もっとベースの運動が必要だ。

 

一番大事なのは、

中学体育だと思う。

 

この世代で、運動できる土台づくりが完成したら、

高校体育は、これまでと同じスタンスで指導でいいと思う。

 

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それぞれのステージで、

上下のステージの否定をしてはいけない。

 

小学校なら、

親が、幼稚園が・・・ 

 

中学なら、

小学校が、高校が・・・

 

高校なら、

中学が・・・

 

言い訳しようと思えばなんとでも言える。

 

そのどうしようもない目の前の子達を一人前にしていくのが、

プロである僕らの仕事なんだから。

 

体育は、体を育もう。

部活動の下部組織じゃない。

遊びじゃない。

 

 

だから僕は、

まず指導の枠組みを作っている。

 

僕自身が、感覚で授業内容考えるのではなく、

体系化されたものからチョイスしながら指導できるようにまずなろう。

 

体系化の完成まで、

あと少し。

 

もう少しで、世に発信し

いろんな方に見ていただき、

揉んでもらい、多くの指導者のスタンダードになるような形にしたい。

 

 

体育は、体を育もう。

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道なき道の歩き方

教員という仕事は、職人業と言えると思う。

 

それは、ほとんどマニュアルがないという点から。

 

これまで数年間続けてきたが、

「何回かやっていくうちにわかるから」

という経験でカバーできるというアドバイスを幾度となく受けてきた。

 

そして、フィードバックを数回受ければ研修終了で

自由にしていいよというスタイル。

 

本当にできているかもわからず、

その業務の本質的な目的もわからず、

雰囲気でできているような気がする。

 

そして、毎年同じ業務がやってくるから

そのうち思考停止しても通用するようになってくる。

 

一体、いつ完成して

いつオリジナルに挑戦できるようになるんだ?

 

そんなことをここ最近よく考える。

 

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職人という現場ではマニュアルはない。

雑用をしながら、見て盗み、業務終了後の自主練習

腕を磨いていく。

 

僕はここで悩む。

で、何を盗めばいいの?

 

問題はこれだ。

 

何を盗めばいいかがわからないこと。

 

一人前になろうと思うと、

これとこれとこれがきっちりできるようになればいいんだ。

 

そういってもらえるとまだマシだ。

 

しかし、何を盗めばいいかがわからないうちは、

いくら数をこなしてもなかなか効率よく成長することはできない。

 

僕はその不明確さは、

世の中の発展を大きく阻害しているように思う。

 

これだけテクノロジーが進化していて、

なぜまだ見よう見まねという方法でしか学べないのか。

 

なぜマニュアルがなく、

なぜ動画でフィードバックできないのか。

なぜオンラインセミナーがないのか。

 

なぜ、生徒には評価をつけるのに

教員はこんなにも細分化された評価をされないのか。

 

僕は、いち早く全体像を掴みたいタイプだ。

というか、それは少数派ではないと思う。

 

学びには概論は必要だ。

大学の講義もだいたい概論から入るじゃないか。

 

全体像ありきの方法論だろう。

 

僕はこの全体像を手にした後、

カテゴリー分けした項目に対して、

全て80点をいかに早くとるかをこだわっている。

 

逆に95点から96点のような、

1点を多くとるのに何年もかかるような所には

力を注がない。

 

これが僕が提唱する8割理論。

とにかく早く8割に到達することを目指す。

 

そして、8割に到達すればすぐに

別の項目を8割取れるようにチャレンジする。

 

そうしているうちに、8割取れるものがいくつかになってくる頃には、

気づけば最初の項目が85点になっていたりする。

 

一つの項目に何年もかけて1点ずつ高めていくのは、

今の時代には即さないように思う。

 

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今僕が8割を取ろうとしているのが、

高校野球の指導者というポジションでのこと。

 

高校野球の監督も不明確だ。

まず、ゴールがよくわからん。

選手を育成するのか、

チームを勝たせるのか、

人格形成するのか、

進路保証するのか、

プロ選手を輩出するのか。

 

全くもってゴールはわからない。

 

選手の育成やと言うてる指導者に限って、

勝てないことへの言い訳にしているように思うし。

 

また、勝ちにこだわっている指導者の元の選手たちは、

一体3年間で何を学ぶんだろうかとも思う。

 

こういうのを、ビジネス用語では

KPIというらしい。

この組織をすげーと評価するための評価軸のようなもの。

 

ほとんどの野球部においてのKPIは勝利だと思う。

世の中、勝てば官軍すぎる。

勝っているチームが取材され、言葉を発信する。

そして、あたかもそれが業界のスタンダードやトレンドのように見える。

 

勝っているチームの考え方=これからの時代のための考え方

とは限らない。

 

トレンド、ではあるかもしれないが

いつもの正解ではない。

 

だって、結局勝つチームって

スカウティングしてるんだから。

 

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僕は高校野球の監督としての資質というか

持っておかなくてはならない知識技術をカテゴリー分けしてみた。

 

・組織マネジメント(スタッフ、選手とのコミュニケーション)

・采配(公式戦をゴールにおいた年間ピリオダイゼーションも含む)

・育成(マインド、フィジカル、テクニック)

・外部との関わり(保護者、OB、後援会、大学、中学、クラブチーム)

・スカウティング

 

まだあるかもしれないが、とりあえず今思いつくのはこれだけ。

 

今のところ、育成に関しては自分の理論が完成しつつある。つまり8割に近い。

そして、組織マネジメントのノウハウもまぁまぁある。これは6割といったところだろうか。

采配に関して。これは一言でいうならば、勝負勘。実は僕はこれをギャンブルから学んでいる。

外部との関わり。これはわからん。ただ、抜本的改革として思い切って全てデジタル化してもいいんじゃないかと思う。正直、接待とかそういうの好きじゃない。

そんな場を儲けなくても、聞きたいことができれば聞きにいくし、遊びならプライベートがいい。仕事と一緒にしたくない。

スカウティング。わからない。する必要がないという人もいる。しかし正解はわからない。だからやってみるしかない。

 

 

ということで、あと2年以内に高校野球の監督とは・・・ということを語れるよう、全てのカテゴリーで8割に到達する。

 

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8割理論は到達すれば次のステージへスライドするというのがルールだ。

ということは、高校野球の監督とは?が語れるようになったら引退か?笑

 

それは、その時になってみないとわからない。

 

 

話を戻すが、

僕は職人気質で何年でゴールできるかわからない経験すればわかるよという世界が嫌いだ。

人生はそんなに長くない。

もっとやりたいことはたくさんある。

 

早く全体像を掴み、その中で好きな旨味だけ抽出して楽しみたい。

 

そしてまた、違う世界にいく。

このスタンスをこれから確立していきたい。

 

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手本の文字をなぞるような学び方をしていないか?

先週、他校の野球部の練習見学に行かせていただいた。


そこで、どう見学するのかについて

ふと思うことがあった。


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選手たちは元気よく練習に励んでいる


おそらくしんどいであろうメニューにも、

歯を食いしばって頑張っている。


監督さんが、初めにチームの実情など説明してくれた。


同じように見学に来ているメンバーも、

がんがんメモをとっている。


そこで思った。


どう学ぶのが効果的なんだ?


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ふと、僕が師匠だと思っている方の言葉を思い出した。


「理解できる話は聞かなくていいよ。」


聞いた瞬間は理解できなかったが、

その後本などを読んでいくにあたりわかってきた。


どうやら、理解できる話とは、

"過去に聞いたことのある話"らしい。


つまり、はぁーそうですかぁーと感嘆してしまうような言葉って、実は過去に聞いたことのある言葉。


過去に聞いたことがあるということは、

要は思い出しているだけ。


それは学びではなく、確認だ。


やっぱりあの言葉は大事だよねーと。


もちろん確認したくて聞いたのならいい。


しかし、学ぶのなら

もちろん新しい情報の方がいい。


そう、理解できない話の方がいい。


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そして気づいた。


僕らは、名監督さんの名言みたいなものを

ありがたそうにメモしまくってはないだろうか?


もちろん、経験のある方からの言葉は

普段自分でイメージしている何倍も重みがある。


しかし、学ぶのなら別だ。


僕らはついつい、

知っていることの確認をしてしまう。


その枠組みから、抜け出せないのだ。


理解できない話は正直辛い。

しかし、そこに成長の秘訣は隠されている。


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僕らは指導者、教師。

自ら学び続けられる人を育てていく立場。


そんな僕らが、まず学ぶ意欲がないのはもってのほか。


そして、学び方を知らないのももってのほか。


どう学ぶか?

まだまだ世の指導者と名のつく人たちは高めていかなくてはならない。


その原因には、

職人のような世界があることが一因だが、

それについてはまた後日書こうと思う。





育成という価値観

今年に入り、お金の勉強をしている。

というか、経済の勉強をしている。

 

おそらく2018年、世界の経済のあり方は大きく変容してくるんだと思う。

 

どうやったらお金儲けできるのかとかそんな話じゃない。

どのようにお金は循環しているのかという仕組みの話。

 

方法論ではなく、システムの話。

 

そんなことを勉強していく中で、

投資という価値観に出会った。

 

そしてこの前、

クラウドファンディングパトロンをさせていただき、

お金の循環について肌で感じた。

 

そしてそんな投資という価値観。

教育現場だったら、どうなんだろう?

そんなことを考えたのが今日のお話。

 

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スポーツチームには2種類あるように思う。

 

一つは、スカウティング重視でスター選手を集め、

大会などで成績を出していくチーム。

 

もう一つは、育成という価値観で

選手を伸ばし、スター選手にしていくチーム。

 

多くのチームはこの両輪のバランスをとったチーム運営をしていると思う。

 

しかし思いの外、

勝利を目指すチームは前者に偏りがちだ。

 

別にどちらがよくてどちらがダメだということはない。

 

けれど、年代や選手層によってどちらに偏るべきかは決まってくるのではないかと思う。

 

では、どの年代から育成で、どこから勝利を本気で目指せばいいのだろうか?

 

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育成世代の境目はどこにあるか?

 

そんなことを考えた時には、

だいたい小・中・高など学校のくくりで考えるのではないかと思う。

 

しかし、その価値観はものすごく思い込みが入り、

選手を潰してしまう危険性がある。

 

そもそも、誰が小・中・高のくくりを決めたのか?

最新の科学的根拠に基づいて6・3・3制をとっているのか?

世界共通で6・3・3制なのか?

 

そんなことを考えた時に、本当にそのくくりで捉えていいのかを考えられると思う。

 

そしてそもそも、

そういったくくり方は、妥当性で決まると思う。

大多数がその年代くらいで発達、発育するという、大多数理論。

 

つまりは、個別の成長段階を無視した考え方で決まっているということ。

 

それが悪だとは思わない。

けれど、そのくくり方を知らずに、

高校生なんだから・・・とかそんな雑な感覚で練習メニューや指導内容を決めるのは、危険な行為なんだと思う。

 

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そして先日、

部活動の指導をしている時に思った。

 

「この子は、ここから先は金属バットではなく、木製バットで練習した方がいいなぁ。」

 

おそらくこの子は、金属バットを扱うだけの技術と体力が身についてきている。

そして、これ以上金属バットで練習しても、金属バットの特性に応じた進化はできても、野球人として直線的に真上に伸びていくことはなかなか見込めないだろうと。

 

育成という価値観で考えるならば、

金属バットで活躍できる選手よりも、

次のステージで活躍できる選手へと育てていくべきだ。

 

しかし、そこで金属バットに固執させる理由に、大会の存在がある。

 

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高校野球の大会は金属バットを使って良い。

そうならば、公平性の中での最上級のパフォーマンスを考えるならば、

間違いなく金属バットを使って試合に出る。

 

そして、試合で活躍するためには金属バットで打てる練習をする。

 

そうして・・・伸び悩む。笑

 

こんなジレンマが多くの現場で起きているのではないかと思う。

 

スポーツでの勝利を目指すと、

当然ルールを最大限に活かせる技能向上、戦術、戦略を突き詰める。

 

そのルールを突き詰めた先に、

もっと先の世界で活躍できるかを無視して・・・。

 

人は環境に適応していく動物だというが、

ルールという環境にも当然のごとく適応していく。

 

勝負というのは、ルールの中で相手を上回るということだから。

 

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今回書いてみた問題点?というか思うことが二つ。

 

・そのルール、本当に先のキャリアのためになっているの?

 

・その指導法、本当に彼らの成長段階にあってる?

 

選手がうまくなっていくことは本当に嬉しいこと。

しかし、その成長のベクトルが本当に正しいかは疑問が残る。

 

育成という感覚は本当に楽しい。

彼らの青春時代に一緒に寄り添えて、

苦楽を共にできることに大きな価値を感じる。

 

だからこそ、本当に伸ばすべきベクトルへ伸ばしてやりたいように思う。

 

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それでは!

エネルギーが上がる勝負と下がる勝負

スポーツの場面はそこら中に勝負が転がっている。

 

勝負の中には、対戦相手との勝負と自分との勝負がある。

 

そして、勝敗関係なく気持ちが良い勝負があることも忘れてはならない。

 

勝負の世界では、勝利が正義とは限らないのが不思議だ。

 

今日は勝負ごとについて考えてみた。



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勝負で一生が決まることは、まずない。

 

どんな勝負も、何度でもチャレンジできる。

勝負の終わりは、戦うことをやめた時だ。

 

そういえば、バガボンドの一節に

沢庵和尚が、武蔵に対して

「勝負の螺旋から降りること」を勧めるシーンがあった。

 

バガボンドの世界では、

勝負に負けるイコール死となるが、

 

スポーツの世界で勝負に負けても死ぬことは基本的にはない。


その年代や、その大会においては

二度とない勝負である。

 

しかし、同じような勝負は何度でも起こり得る。

 

つまり何が言いたいかというと、

その勝負を通して、何を学んだか?を大切にしようということだ。

 

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そして、終わることのないその勝負の螺旋では、

気持ちの良い勝敗がある。

 

負けてもスッキリする負けもあるのだ。

 

逆に、勝ってもスッキリしない勝ちもある。

 

 

では、その境界線はどこにあるのか?

 

 

 

その答えは、

 

自分に勝ったかどうかだ。

 

言い換えるならば、

自分の中の勝利の定義に達することができたかどうかだ。

 

 

多くの人は、ルールの中での勝利と、自分の中での勝利は違う。

そして、少し話はそれるが、勝利至上主義とは、ルールの中での勝利だけをよしとする考え方のことをいうんだと思う。

 

自分の中の勝利に到達できた時、人は喜びをもった勝利を手にする。

 

そして、自分の中の勝利とは

結局のところ、相手を尊重しながらフェアプレイであり続けられたかどうか?

また、自分にかけているプレッシャーに打ち勝てたかどうか?

純真な心で勝負に臨めており、そして最後までそれをやり通すことができたかを

人は自分で観察し、評価している。

 

最後までそれをやり通し、

勝ちを目指し続けた時、人は本当の意味での勝者になるんだと思う。

 

 

目の前の奪い合い、騙し合い、削り合いで勝利を取りにいってはないだろうか?

本当の意味の勝利を手にしようと集中できているだろうか?

 

目の前の勝利は、少々ずるいことをすれば簡単に手に入る。

しかしそれは、未来には繋がらず、結局自分の自信のなさからの行動でしかない。

 

結果という表面上の輝きに焦り、

メッキの自信ばかりを取りにいってないだろうか?

 

そんなことを考えながら、本当の意味での勝利を目指していきたいと思った。

 

勝っても負けても、エネルギーが高まっていく勝負をしていきたい。

そして特に、ジュニア世代の選手たちには、なおさら目先の勝利ではなく、

エネルギーが高まる本当の勝利の感覚を伝えていきたいと思う。

 

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ブログを書く目的がついに見つかった

昨年12月に、なぜか火が消えてしまい、

ブログへの思いが薄れた。

 

ん〜と色々と考えてみたが、

よく考えたらモチベーションが消えちゃったからだった。

 

 

そしてそして、

放浪した思いがついに漂着する場所が見つかった!

 

 

それがレターポット。

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僕は、承認されたい!

もっとすごいねって言われたい!

もっとありがとうって言われたい!

という欲求の根源を見つけたので、

この欲求を満たすためにこのブログを活用しようと思ったのです。

 

 

書いている感覚的に、

少しは人のためになってる気がするので、

 

感謝の気持ちや感想を、このレターポットで僕にください。

 

すると、どうなるか・・・?

 

 

僕が日々ご機嫌で過ごします。笑

 

 

ご機嫌さんが世の中に増えると、

世の中はもっとおもろい世界になると確信してます。

 

まず僕がご機嫌になること。

 

お待ちしてます。

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これ、キングコングの西野さんが作られたものです。

すごいなぁ〜と思うのです。

 

もっと普及したら面白いなぁと思うのです。

 

ということで、お待ちしてます。

コメントは、レターポットで♪

 

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