学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

エネルギーが上がる勝負と下がる勝負

スポーツの場面はそこら中に勝負が転がっている。

 

勝負の中には、対戦相手との勝負と自分との勝負がある。

 

そして、勝敗関係なく気持ちが良い勝負があることも忘れてはならない。

 

勝負の世界では、勝利が正義とは限らないのが不思議だ。

 

今日は勝負ごとについて考えてみた。



==============

勝負で一生が決まることは、まずない。

 

どんな勝負も、何度でもチャレンジできる。

勝負の終わりは、戦うことをやめた時だ。

 

そういえば、バガボンドの一節に

沢庵和尚が、武蔵に対して

「勝負の螺旋から降りること」を勧めるシーンがあった。

 

バガボンドの世界では、

勝負に負けるイコール死となるが、

 

スポーツの世界で勝負に負けても死ぬことは基本的にはない。


その年代や、その大会においては

二度とない勝負である。

 

しかし、同じような勝負は何度でも起こり得る。

 

つまり何が言いたいかというと、

その勝負を通して、何を学んだか?を大切にしようということだ。

 

================

 

そして、終わることのないその勝負の螺旋では、

気持ちの良い勝敗がある。

 

負けてもスッキリする負けもあるのだ。

 

逆に、勝ってもスッキリしない勝ちもある。

 

 

では、その境界線はどこにあるのか?

 

 

 

その答えは、

 

自分に勝ったかどうかだ。

 

言い換えるならば、

自分の中の勝利の定義に達することができたかどうかだ。

 

 

多くの人は、ルールの中での勝利と、自分の中での勝利は違う。

そして、少し話はそれるが、勝利至上主義とは、ルールの中での勝利だけをよしとする考え方のことをいうんだと思う。

 

自分の中の勝利に到達できた時、人は喜びをもった勝利を手にする。

 

そして、自分の中の勝利とは

結局のところ、相手を尊重しながらフェアプレイであり続けられたかどうか?

また、自分にかけているプレッシャーに打ち勝てたかどうか?

純真な心で勝負に臨めており、そして最後までそれをやり通すことができたかを

人は自分で観察し、評価している。

 

最後までそれをやり通し、

勝ちを目指し続けた時、人は本当の意味での勝者になるんだと思う。

 

 

目の前の奪い合い、騙し合い、削り合いで勝利を取りにいってはないだろうか?

本当の意味の勝利を手にしようと集中できているだろうか?

 

目の前の勝利は、少々ずるいことをすれば簡単に手に入る。

しかしそれは、未来には繋がらず、結局自分の自信のなさからの行動でしかない。

 

結果という表面上の輝きに焦り、

メッキの自信ばかりを取りにいってないだろうか?

 

そんなことを考えながら、本当の意味での勝利を目指していきたいと思った。

 

勝っても負けても、エネルギーが高まっていく勝負をしていきたい。

そして特に、ジュニア世代の選手たちには、なおさら目先の勝利ではなく、

エネルギーが高まる本当の勝利の感覚を伝えていきたいと思う。

 

================

ブログ記事のご感想は、レターポットにコメントいただけると嬉しいです!

letterpot.otogimachi.jp