エネルギーが上がる勝負と下がる勝負
スポーツの場面はそこら中に勝負が転がっている。
勝負の中には、対戦相手との勝負と自分との勝負がある。
そして、勝敗関係なく気持ちが良い勝負があることも忘れてはならない。
勝負の世界では、勝利が正義とは限らないのが不思議だ。
今日は勝負ごとについて考えてみた。
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勝負で一生が決まることは、まずない。
どんな勝負も、何度でもチャレンジできる。
勝負の終わりは、戦うことをやめた時だ。
そういえば、バガボンドの一節に
沢庵和尚が、武蔵に対して
「勝負の螺旋から降りること」を勧めるシーンがあった。
バガボンドの世界では、
勝負に負けるイコール死となるが、
スポーツの世界で勝負に負けても死ぬことは基本的にはない。
その年代や、その大会においては
二度とない勝負である。
しかし、同じような勝負は何度でも起こり得る。
つまり何が言いたいかというと、
その勝負を通して、何を学んだか?を大切にしようということだ。
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そして、終わることのないその勝負の螺旋では、
気持ちの良い勝敗がある。
負けてもスッキリする負けもあるのだ。
逆に、勝ってもスッキリしない勝ちもある。
では、その境界線はどこにあるのか?
その答えは、
自分に勝ったかどうかだ。
言い換えるならば、
自分の中の勝利の定義に達することができたかどうかだ。
多くの人は、ルールの中での勝利と、自分の中での勝利は違う。
そして、少し話はそれるが、勝利至上主義とは、ルールの中での勝利だけをよしとする考え方のことをいうんだと思う。
自分の中の勝利に到達できた時、人は喜びをもった勝利を手にする。
そして、自分の中の勝利とは
結局のところ、相手を尊重しながらフェアプレイであり続けられたかどうか?
また、自分にかけているプレッシャーに打ち勝てたかどうか?
純真な心で勝負に臨めており、そして最後までそれをやり通すことができたかを
人は自分で観察し、評価している。
最後までそれをやり通し、
勝ちを目指し続けた時、人は本当の意味での勝者になるんだと思う。
目の前の奪い合い、騙し合い、削り合いで勝利を取りにいってはないだろうか?
本当の意味の勝利を手にしようと集中できているだろうか?
目の前の勝利は、少々ずるいことをすれば簡単に手に入る。
しかしそれは、未来には繋がらず、結局自分の自信のなさからの行動でしかない。
結果という表面上の輝きに焦り、
メッキの自信ばかりを取りにいってないだろうか?
そんなことを考えながら、本当の意味での勝利を目指していきたいと思った。
勝っても負けても、エネルギーが高まっていく勝負をしていきたい。
そして特に、ジュニア世代の選手たちには、なおさら目先の勝利ではなく、
エネルギーが高まる本当の勝利の感覚を伝えていきたいと思う。
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