学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

なんとかしようと思う気持ちが人を成長させる

先日の大会からしばらく経ちました。

 

あの負けからいろいろ考えて、

 

負ける時に感じた思いから、

 

どう普段を過ごしていくべきかということを考えました。

 

 

 

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なんとかしたい!

 

しかし、なんともならない…。

 

自分が負けを認めた時って、

 

この絶望感のように思う。

 

どうしたら攻略できるのか全く想像もつかない。

 

そんな時に、自分は負けるんだと思う。

 

相手にではなく、まず自分に。

 

絶望感に負けた時、人は思考が停止する。

 

そうしているうちに、戦っている相手にとどめを刺される。

 

そんな流れで、自分にも相手にも完敗していくんだと思う。

 

そして、その戦いが終わってから思うのは、

 

”もしもあの時…”

 

こんな仕事をしているせいか、

 

未だに自分が高校生だった頃を振り返ることがある。

 

”あの時あんな練習をしていれば、あんな選択をしていれば…”

 

未来は誰にもわからない。

 

別の選択をした場合の答えもわからない。

 

しかし、振り返った時、

 

”もう一つの選択肢”の方がより正しく感じるのは不思議なことだ。

 

 

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新チームが始まった。

 

チームを何周かみていくうちに、

 

どこが重要なポイントで、どこが難所なのかが見えてくる。

 

どうしたらチームが強くなるのか。

 

そんなことを毎年考えては、

 

試行錯誤を繰り返す。

 

ここからが僕の考え。

 

やはり、成長(チームを強くする)のために大事なことは、

 

”主体性”だと思う。

 

自ら考え行動できる力こそが最強だと思う。

 

これは、自身の経験からも思うところだが、

 

あの『7つの習慣』の第一章にも出てくるからだ。

 

主体性が何事においてもスタートだ。

 

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しかし、考えて行動しろよ!

 

と何度も強く言えば言うほど、

 

人は萎縮してしまい、むしろ依存に傾いてしまう。

 

なぜか?ざっくり言う。

 

「”考える”ということに囚われるから」である。

 

考える内容ではなく、考えるという行為に囚われるからだ。

 

考えているポーズをして、それらしいアンサーを出していれば、

 

指導者や上司に褒められる。

 

つまり、目上の人への評価のために考えるというポーズをとる。

 

”考えて行動しろ”と言われた側の人間に取って、

 

考える内容なんかは何でも一緒だ。

 

そういったロジックに入ることを上司や指導者は意外と気づけない。

 

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僕のやり方。

 

「間違っていていいから、なんとかしようとしてみなさい。」

 

本気になった時、人は本当の意味で考える。

 

嫌な話、病気にならないと健康のことは考えない。

 

本気でやろうとした時、人は自然と考えるようになっている。

 

そして、出てくるものは、”知恵”だ。

 

そう、指導者が求める考えて行動しろよの意味は、

 

”創意工夫”して、”知恵を絞り出せ!”ということだ。

 

正解をこちらに求めてくるうちは、

 

本当の意味での力になっていないということが言いたいのだ。

 

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やらされている時の声と、

 

なんとかしたいと思っている時の声の質は、

 

あまりにも大きく違う。

 

なんとかしたいと思った時には、

 

情報収集センサーが敏感になる。

 

いつもは気づかないような情報をさまざまに拾い上げる。

 

その情報を統合し、さまざまな仮説を立てる。

 

その中の最も正確そうな情報について、

 

仲間に発信する。

 

それこそが、真の意味での”準備の声”となるのだ。

 

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成長する子の特徴は間違いが多い。

 

というか間違えるかもしれないリスクを犯してもチャレンジする。

 

結局、チャレンジの数だけ成功がある。

 

指導者としては、

 

間違ってくれた方が教えやすい。

 

だからこそ、

 

まずは思いっきり間違える環境づくりが、

 

教育現場に大事なことなんだと思う。

 

正解性よりも、安心してチャレンジできる土壌づくりへ。