学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

誰のためにするのか

今日は10月1日。

いろんな節目であり、始まりのタイミング。

そんな日に、誰のため?

を考えてみた。

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誰のために?

これを間違うと、挨拶、感謝、謝罪のタイミングを逃す。

高校の教育機関。

ここは間違いなく、選んで入る場所。

義務教育機関ではないから、

行かなくても何の問題もない。

あるとすれば、

世間体という視線、空気に

本人や両親が耐えられるかどうか。

耐えられない人は、

とりあえずで入れるところに入る。

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とりあえず入学した学校。

いろんなことを言われ、いろんなルールに囲われ、いろんな常識を突きつけられる。

そして、親からは次の進路のために頑張れととにかく言われる。

そして、どこかで我慢しきれなくなり、

いわゆる問題行動を起こしてしまう。

そして、教師に何でこんなことを…

と言われると、

行き着く先には、

「本当は学校なんて行きたくなかったし」

と悪態をつく。

話を戻す。

で、誰のためにわざわざ大切な時間を使って通っているの?

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被害者である方が人生は楽だ。

〜された。

〜のせいで…

〜が邪魔をして…

そう言っているうちは、

自分に責任が来ない。

しかし、本当の幸せは一向にやってこない。

逆に自分の人生の責任をとるって恐い。

なぜなら、小さい頃から、

そんなことしたら大変なことになるぞ!

と大人に脅し続けられたから。

大好きな両親に、

恐い顔して怒られた自己責任。

もう、人のせいにするしか考えられない。

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そして、自分なりに納得して、

何かに折り合いをつけて

進み始めた人生。

少々のことなら我慢できるようになった。

それでも、やっぱりモヤモヤする。

そして、怒られることをやってみた。

そして、親から、教師から、

「そんなことをしたら、将来…」

また、将来のことを言われた。

そんなに、穏便に未来を待たないといけないのか…

そうしてため息混じりで生きている間に、

気づけば社会人となった。

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先ほど書いたような人生は嫌だ!!

と思い、いろんな自己実現の本を読んでみた。

いろんなセミナーに参加してみた。

すごいと言われる人たちに会ってみた。

けれども、全く人生は変わらない。

なんなら、結婚、出産、子育て。

気づけば責任がついて回るようなポジションにどんどんなっていってしまった。

そんなはずじゃなかったのに…。

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どう生きるか。

本当は自由。

しかし、自由は恐い。

このロジックを超えていかない限りは、いつまでも同じループを繰り返す。

世間体、常識、恥ずかしさ、恐ろしさ、嫌われる、

を超えていく勇気。

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そして、僕が師匠と思う人が言っていた。

「この話すごい!というものは既に知っている話だ。聞いた方がいいのは、え?何言ってんの?という話だ。」

訳の分からん話は、これから理解していく話。

訳がわかる話は、これまでに理解していった話。

訳の分からん話を大切にしよう。

そして、それがわかるように意識してみよう。

すると、そのループから抜け出せるかもしれない。

そして、自分がそのループの外にいる人になったのなら、そのループで苦しむ人たちに訳の分からん話をしよう。

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ループを抜け出すということは、

常識の外側に出るということ。

人のための生きていては、

そのループからは抜け出せない。

誰のために?

まずは、自分のために。

自分のためなら、人に嫌われてもいい。

チャレンジしよう。

やりたいことを