学校体育改革2025

学校体育が本当の意味で、日本を救っていける教科になるためのヒントを書き綴るブログ。

成熟のその先

ここ最近、

教育現場って完成してるよなぁ〜

やるべきこと、決まってるよなぁ〜


なんて思っていた。

 

すると、本を読んだりすると、

どうやら大企業なんかも完成してるっぽい匂いがした。

 

 

そして、完成、完成…と思っていたら、

成熟という言葉を耳にした。

 

成熟の方がいい感じがするので、

成熟している教育現場と考えるようにした。

 

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成熟の反対は、未熟だ。

 

未熟というのは、簡単にいうと足らないということだ。

 

足らないから足りるようにいろいろと手を加える。

 

そして、少し満たされる。

 

これを、進歩とか成長とかと呼ぶんだと思う。

 

 

しかし、その進歩や成長はずーっと続かない。

いや正確にいうと、

その角度では進歩、成長し続けないということだ。

 

これは、3歳児でも知っている。

僕はおそらくだが、3歳で知った。

 

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人の身体は、発育、発達していく。

 

生まれた時は何もできない。←大人の視点からの話だが。

 

そして、少しずつできることが増えていく。←大人ができることの数

 

そして、一つできる度に、ものすごく褒められる。←自分たちに近づいてきている

 

しかし、ある時急に褒められなくなる。←自分たちと同化が完了?

 

そのある時とは、自分よりもできないやつが出てきた時。

 

 

そして、気づく。

 

あれっ、自分てもう成長止まった??

 

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3歳の時には、自分が成長していることが実感できている。

それは、できることの数が増えたからではなく、

褒められなくなったから。

 

ここを愛情不足と掛け違うと心の問題に繋がる。

しかし、今日はその話ではないため割愛。

 

皮肉にも、褒められなくなったことで、

成長したことに気づき、成長角度が緩やかになったことに気づく。

 

そして、次に何をして確認するか?

「比較」を使う。

同じっぽい条件の人と比較する。

兄弟や同級生、テレビに出る人や偉人。

 

そんなあたりと比較して、

少しずつ自分てどんなものなのかを掴んでいく。


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話がそれてしまったが、

 

未熟な頃と、成熟した後の考え方は違う。

 

未熟な時は、なくて当たり前。できてない、足らない。予想外。

こんなことが当たり前に起きると思っている。だから挑戦できる。

 

しかし、成熟後は保守に入る。

なくならないように、維持できるように、ちょっと成長できるように。


あの未熟な頃に戻っては大変だ。

だから、維持し向上しないと!!!!

 

そんな風に考えてしまうのかなぁと思う。

 

この保守。

これが、僕は息苦しいなぁと思う。

 

もっと失敗して良くない?

もっと危険な目にあって良くない?

衰退しても良くない?

やめても良くない?

 

この維持、向上という考え方は、

一種の脅迫観念で、簡単に方向転換できなくする。

 

「そんなことしたら、大変なことになるよ。」

という悪魔のささやきとともに。

 

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成熟はありがたい。

 

何でもある。簡単に死なない。

簡単にケガしない。

簡単にトラブルに巻き込まれない。

 

けれども、その安全に固執しすぎると、

バランスを崩すんだなぁと思う。

 

以前こんな言葉を聞いた。

 

「安全は、不安定の上に存在する。」

 

安全は決して絶対神話ではない。

 

いつ崩れるかわからない。

 

だからこそ、崩れてもいいよう不安定の中にいることを意識するのが大切だ。


それでは、この安心、安全な成熟社会において

どう生きると良いのか?

 

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ここ最近、とは限らないが、

 

好きなことをして生きよう。

 

といろんな人が口にしている。

 

心理学の人もいれば、自己啓発の人もいれば、

ビジネスリーダーもいる。

 

いろんな人が口を揃えて言う。

 

 

でも、失敗したらどうするんですか?

 

ついそんなことを言いたくなる。

 

だが、そのリーダー達が口にする理由は、

 

簡単には死なないほどに、

なんとかなる社会へと成熟したんだから、

大丈夫だということ。

 

 

成熟社会が、AIによってより成熟しようとしている。

 

そして、人は時間を持て余す。

 

もうあの頃のように労働に縛られなくなる。

 

じゃあどうする?

 

好きなことしよう。

 

こういうことだそうだ。

 

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僕もその言葉に乗っかろうとしている。

 

好きなことしよう。

 

その好きなことが見つからない。


だからこそ、20代は本当に好きなこと探しに全力を尽くそうと思う。

 

その一環として、このブログがある。

誰のためでもなく、ただ自分を見つけるために書き続ける。

 

そしてそれを見た人に影響が及ぶ。

そんな感覚がいいなぁと思う。

 

人のためではなく、自分のために生きる。

これからの社会において、より大切になる価値観だと思う。

 

人のため、が確かに経済を回す。

しかし、好きなことが人のためになるように頑張る方が、

絶対に強い。

 

 

成熟は、戦争によって崩壊するかもしれない。

また何もない国になるかもしれない。

 

けれど、僕は日本人の好きなことへの探究心はすばらしいと思っている。

 

きっと大丈夫。

だから僕も、好きなことで突き抜けたい。

 

そしてそれが、より多くの人のためになればいいいなぁと思う。