正解のない問いをどこまで楽しめるか
最近は進路指導が業務の中心となっている。
各々の生徒が目指す道へ、アシストしてやりたい。
そう思うものの、そのためのアドバイスとは難しいものだ。
何がベストなんだろう。
僕はよく、言葉を詰まらせる。
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アドバイスには、正解はないんだと思う。
なぜなら、正解は聞いた側が決めるから。
アドバイスした側は、結局正解を引き当てられない。
アドバイスの中には、正解っぽいものがある。
おそらく、これを言っていれば間違いない。
ベターであり、炎上しない。
①「君の人生だから好きにしな。」
一切こちらに責任が来ない言い方だ。
そして、君の意見は素晴らしいと後押ししておけば抜群だ。
②「それをしてたら損はないよ。」
全ての選択を損得で捉える方法。
確かに、損しにくい提案だ。
そして、こちらもベストを尽くしたかのように見える。
③「そんな根性じゃどこも受からないよ。」
合否を精神論に持っていく方法だ。
これも簡単だ。なぜなら、僕らより未熟な生徒が頼ってきているのだから。
他にもいろんな言い方ができると思う。
しかし、僕はこれらが嫌だ。
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僕が意識するのは、
・学校的な意見。
・近未来的な意見。
・自分の本当の意見。
この3つを提示するようにしている。
相談に対して、正直答えは出ない。
だから、できるだけいろんな角度でその悩みや問題を捉えられるよう提示する。
「学校的には、担任としては…」そんな言い方の時もあれば、
「これからの時代ならば…」という言い方をする時もある。
そして、「僕ならこうするかな。」という自分意見も伝える。
何度も言うが、
この中に正解があるとは限らない。
けれど、僕はこのような角度から
とにかくたくさんの仮説の解を出しまくる。
実際に、いつもうんうん唸りながら相談にのっている。笑
僕はこの正解のない問いが好きなのかもしれない。
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ここ最近の僕の考えでは、
頭が良い人が勝つ。である。
頭が良いは言い換えると、頭が柔らかいこと。
いかにして、柔軟に多角的に物事を考えられるか。
ここを勝負にしている。
だからこそ、情報収集には積極的になる。
絶対に知識量のゴールを作らない。
思考停止してしまっては、いつか情報弱者となり、何もできなくなる。
だから、疑問を増やす。
そして、仮説を立てる。
そしてやってみる。
そして、100点ではなく80点をとりにいく。
余談だが、
僕は80点をとるのが非常に得意種目だ。
逆に、80点を100点にするのは本当に苦手な分野だ。
これまでは、残りの20点を取れない自分を責めていたが、
これからは80点を早く取れる自分を褒めていきたい。
そして、残り20点を確実にとってくれるパートナーと仕事がしたい。
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話を戻す。
世の中に正解があると思うと、
いつか行き詰まる。
そして、最高のベターを探す。
悪いことじゃない。
しかし、正解のない問いの答え探しは、本当に面白い。
僕はそこで、8割の正解ばかりをとりに行く。
100点がとれなくても大丈夫。
100点だけが正義ではない。
ミスは多くても、誰よりも早くできることも正義になり得る。
80点しかとれないけれど、80点をいくつもの課題でとり続けることも正義だ。
20点でも、見る人を魅了する字で書ければ正義。
0点でも、みんながくすっと笑ってしまう大喜利になるのも正義。
正解を一つとしない。
今の自分が正解とする。
これが、正解探しを面白くする考え方かと思う。