研究発表で話そうと思っている内容をこっそりご紹介
12月1日
僕は、県の代表として、体育授業の研究発表を行う。
そこに向けて、論理もようやく固まってきたので、
そろそろプレゼン資料づくりに移らなければならない。
ここで、考えてみた。
「あれっ、ここの読者の方々と
発表を聞く人たちって、多分違う人たちだ。」
それならば、ここで紹介してしまえ!!
ということで、先行公開します。
せっかくなら、多くの方に知ってもらいたいことですので。
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僕が教員になってから、
教育現場は少しずつだが確実に変化の波が起きてきている。
僕の中での初めの衝撃波は、
組み体操が学校から消える流れ。
世論に教育現場が応えて、
相次いで組み体操が廃止された。
現場を肌で感じている僕にとっては衝撃だった。
だって、現場は外の声なんかでびくともしなかったんだから。
第二波は、
アクティブラーニングの波だった。
知識基盤型社会だと大学時代は教わった。
しかし、その知識は不必要となる時代が来るというのだ。
大事なことは、その知識をいかにして活用できるかという能力。
ここに関しては嬉しかった。
大学時代から多くの素晴らしい大人たちで出会ったきて、
こういった学びは絶対的に高校生にとって必要だと思っていたからだ。
つまり、第二波は僕の教育活動が肯定された気がして嬉しかったのだ。
そして今、グローバル人材という言葉が現実味を帯びてきている。
教育現場がどんどんアウトソーシングされていく。
そして、閉ざされた空間から開かれた空間へ。
少しずつだがうねりをあげて変化していっている。
そんな中、僕も現場を危惧するところがあり、
今回このような研究を行うことにした。
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あるサッカーの授業。
「さぁ、試合をしようか。」
当然盛り上がると思っていた。
いや、盛り上がったのは事実。
しかし、全員ではなかった。
そう一部の生徒は、盛り上がったのだ。
いざ試合が始まると、
無反応だった生徒も自己の役割を果たすため、
それなりにボールに向かっていった。
しかし、それでも蚊帳の外の生徒がいた。
授業後話しかけてみると、
「苦手なので。迷惑かかるし。」
と話していた。
運動は誰もが楽しんでいいものだ!
そんな、苦手な人たちが我慢しないといけないものじゃない!
これが僕の心の叫びだ。
それから僕は、みんなが楽しめる体育ってなんだろうと考え始めた。
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そう、僕がこの研究を行うことにしたのは、二つの理由。
一つは、時代の流れ。
社会に適応していける人材を体育で育むとすれば…
そんな視点である。
そして、もう一つが体育の二極化。
好きで得意な生徒のみが楽しみ、それ以外は全く活動しない。
これは運動を教える体育人としては、
なんともいたたまれない思いにかられる。
なんとかしなくては!
そこで立ち上がった。
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ということで、続きは後日更新します。